ノーベル博物館・ノーベルの遺言

”ノーベル賞”。
日本人も候補に挙がったり受賞されたり、年に一度行われる受賞のニュースで誰もが一度は耳にしたことがあると思います。
ニュースを見ていても、なんだか難しくてよくわからなかった。
でも、毎年世界中で騒がれるこの賞は「とっても良い賞」なんだろうなと漠然と感じて興味はありました。
もともとノーベル賞とは、スウェーデン人のアルフレッド・ノーベルの遺言から創設されました。
ノーベルは、鉱山や油田の発掘の為に開発したダイナマイトが戦争に使われ始めたのを嘆き、遺言で「自分の財産はその前年度に人類のため最も大きな貢献をした人々に与えて欲しい」と残したそうです。
ノーベルの死後、弟子たちの努力により1901年に「物理学」「化学」「生理・医学」「文学」「平和」「経済学の賞」の6部門でノーベル賞がはじまりました。
これは、世界で最も有名な遺言と言われています。
100年以上も前に北の果ての国に残された一人の発明者の遺言が、世界中で注目される誇り高い賞として続けられている。
それだけでもう鳥肌ものです。

漠然とした知識だけでも、ここだけは外せない!と楽しみにしていたノーベル博物館。
期間限定で2001年から2006年の8月までだったので、どうしても行きたかった。
(好評により2007年現在も延長されています)
おそるおそるドアを押して入ると、真ん中に受付があって超美人がにこやかに座っていた。
そんな超美人が霞んでしまうほど、ものすごい近代的な光景と神秘的な空気が溢れていた。
青と黒とシルバーの近代的すぎるほどの宇宙的で非日常な内装。
上を見上げると、高い天井からたくさんのパネルがレールでゆっくりと運ばれている。
よく見ると、それは歴代ノーベル賞受賞者の写真パネルだった。
時々かたん、ことん、と音をたてて動く。
受付の後ろには黒くぴかぴかした大きな碑のようなものが中央に向かってそびえている。
その碑は各ノーベル賞のシンボルだった。
医療、化学、医学、文学、平和、経済学。
6つのシンボルが、誇り高く丸く中央に向かって立ち、その下の床の石にはそれぞれの賞の名前が世界各国の名前で刻まれていた。
静かななかに、なんだかわからないけどたくさんの人の声がどこからかさわさわと聞こえた気がした。
なぜか胸がいっぱいになって、息苦しい。涙が出そうだった。
ぽかんと口を開けて上を見ていた私は美人受付嬢の「Hi. May I help you?」という声ではっと現実に戻った。
言葉がうまく出てこない。やっと「One chicket, please.」と言えた。
さっき見えた碑の中へ立つと、それぞれの賞のシンボルが静かに、でもしっかりと重みと誇りをたたえて立っていた。
ノーベル賞のすごさに、初めて感動した。
テレビで何気なく見ていたけど、これは人類にとっていかに素晴らしく誉れ高い賞なのかを肌で感じた。
奥へ進む通路に、1901年の設立一番目のノーベル賞から10年区切りで説明があった。
当時の新聞記事と、その年代の受賞者にまつわる物が飾ってある。
100年前の新聞ですよ!それだけでびっくり。
ベルリンの壁や発明当時のペニシリンの瓶、世界初の注射器、ダライ・ラマの眼鏡、世界最初のレントゲン写真、ぼろぼろのナース帽…。
それぞれの物によって救われた人達、当時の世界の様子がリアルに想像できる。
テレビの中や教科書の中の出来事じゃないんだなぁ…
もう、見ているうちに涙が出てきました。
ノーベル賞を受賞するということは、とんでもないことなんだ、と思いました。
ノーベル賞を受賞した小柴さんの「学者というのは、たくさんものを知っている人のことではなくて、知らないことがたくさんあって、それを知ろうとしている人のことです」という言葉を思い出す。
とてつもない努力や熱意、試行錯誤があって、世界中に革命を起こしたひとたち。
一体それが世界中にどれだけ感動を起こし、どれだけの人を救ってきたのだろう。
そう思うより先に、偉大な人やその人たちが生み出したものが、どんどん胸に迫ってきました。
このとき、ここへ入ったときに感じた圧倒的な空気はこれだ、とわかりました。
人や物の計り知れない力ときらきらした存在感。
ほかにも歴代受賞者にまつわるフィルムも流していました。
私が見たのは第1回(1901年)ノーベル物理学受賞のレントゲン博士。
レントゲンって、発明した人の名前だったんですね~。
発明時のレントゲンの映像がすごかった。
写真じゃなくて映像ですよ?
人の骨がどう動いているか、はっきりと映像に写っているんです。
レントゲンの奥様が実験台だったらしいですが、ものすごい大掛かりな仕掛けで写されたレントゲンの映像は驚くばかり。
あと、車いすの発明者。名前忘れちゃった。
あれって、戦争の地雷で足を失ったカンボジア人のために作られたらしいですね。(たぶん)
絶望に暮れる人たちの様子から、失敗を繰り返し、最初の車いすに乗るカンボジア人の喜ぶ顔。
歓喜に湧く人たち。
ノーベル賞受賞時のたくさんの人の笑顔。
ずっと見ていたかったけど、全部見てたら一日じゃ終わらないのでそこでやめておきました。
ちょうど私が訪れたときはアインシュタインに焦点を当てた期間でした。
アインシュタインの相対性理論をアニメ化した映像や、直筆の手紙、年表や写真などがあっておもしろかった。
ほかにも各ノーベル賞の選考会場や受賞会場の模型や写真がありました。
あとは晩餐会で出される食器類やノーベル賞のメダル、勲章などなど。
カフェもあり、ここでノーベル受賞式の晩餐会で出されるアイスがありました。
食べたかったけど、この日はすごく寒くて断念。
私はクランブルケーキを食べたのですが、ベリーがたくさん入っていて美味しかったです。
グッズショップもあって、受賞者にちなんだおもちゃや道具も売られています。
このキーホルダーはノーベル平和賞のシンボル。
つくづく思うのは、ノーベル賞はオリンピックとは明らかに違うんだな、ということ。
国が誇るべき賞であることは同じなんだけど、オリンピックが個人の努力で個人が報われることに対して、ノーベル賞は個人の努力で世界が救われる、ということ。
どこかの国のように、毎年ひとりのノーベル賞を目指そう!とか言ってる戯言は、全く言い返す言葉もない。
どうしてそんなあたまわるいこと言えるの?と思う。
ノーベル賞を目指す、って見てる先が違いすぎて飽きれる。
そんな小さい戯言がどうでもよくなるくらい、素晴らしい博物館でした。
今回一番の収穫。